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第6回:建築三法の成り立ち (2010.9.20 更新)
建築に関する法律の「建築基準法」「建築士法」「建設業法」の3つを【建築三法】と呼びます。

戦後にできた法律ですが、今回はこの建築三法の成り立ちについてお話したいと思います。

戦後の日本の住宅政策は、良くも悪くも欧米、とくに米国の住宅政策を基本としています。
昔、日本はアメリカやヨーロッパの一部の国々と戦争を行い負けました。
そして、戦争が終わり各地に焼け野原と化してしまった日本を復興させようと画策したのが、連合国総司令部(GHQ)です。

彼らはまず、住宅の復興の為に建築の法律を整備しようとしました。
そこで、最初に「建築三法」を整えました。
建築三法とは「建築基準法、建築士法、建築業法」です。

【戦前までの日本の建築】-------------------------------------------------

日本の木造住宅は、誰でもが仕組みを見てわかる建て方の「軸組み工法」で建てられていました。
この軸組み工法で、豪雪地帯から台風の多い四国、九州、中国地方などの家は丈夫に建てられました。

また、日本の住宅は湿度との戦いでもありました。
比較的に冬場と夏場の湿度の違う関東地方や山間部と平地と状態は違うところでも本来の軸組み工法は、丈夫で理にかなった、優秀な工法でした。

しかし、すべての住宅が軸組み工法と一言に言っても、建物によって大きなグレードの違いがありました。
一般庶民向けには、かなり安易で粗末な木造住宅が、都市にも郊外にも大量に建てられていたことも事実です。
多くの住宅はかなり粗雑なつくりでした。
(そのためにアメリカは調査を行い「日本の家は、木と紙でできている。」と徹底的に空襲したのだそうです。)

建築の許可に関しても、戦前は、警視庁建築課の担当や、各地の警察署長が許可の権限を持っていました。中には威張り散らしながら許可を出すような人もいたそうで、ずさんであった事は否めなかったようです。
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といったように、戦前は、建築に関してあまり明確な取り決めがなされていなかった為、 まずは、建物の「敷地」「構造」「設備」の最低基準を法律で取り決めることになりました。
都市計画法や消防法、耐震法等々、関連法律も含めてGHQと協力して作り上げられました。

家を建てる時の建蔽率や容積率、高度の斜線、防火規定などが定められました。
そして建物の構造や内装、設備の最低基準も定めました。これが「建築基準法」です。

そして、私も苦労して取得した建築士などをも規定した「建築士法」やこの建築基準法が基になって、適切な建築を請け負う業者を許認可制として法律で定めたのが「建築業法」です。